果たした約束の積重ねが、『信頼』となる

夏が深まり、暑い日が続くようになりましたね。僕は今年の屋久島ヨーガリトリートを無事に終え、現在東京へ向かう機内でこのブログを更新しています。

さて、皆さんは夏バテなどしておられないでしょうか。この時期、気温が高くなる分冷たい飲み物や食べ物をとったり、お風呂はシャワーで済ませたり、どうしても身体を冷やしてしまう傾向が強くなりますが、体温を下げてしまうと代謝が下がり疲れが溜まりやすくなりますので、できるだけ温かいものか、せめて常温のものを摂取するよう心がけ、お風呂も湯船でゆっくりお湯につかることをお勧めします。このように過ごすことで老廃物も溜まりにくくなって夏バテ予防になるだけでなく、代謝が高くキープされて冬場の健康に繋がります。

 

『信頼』を得るには。

前回のブログでは「約束の果たし方」について述べましたが、お読みくださった皆さんはどのように感じられたでしょうか。何かしら思うことがあった方は、ぜひcontactページから感想など送っていただければ幸いです。

さて、皆さんには、本当の意味で信頼できる友人や仕事仲間の方などどれくらいの人数がいるでしょうか。また、自分自身で他人からの信頼に完全に値する存在であると言い切れる方はどれほどいらっしゃるでしょう。さらに、ご自身の経験として、以前はある人を信頼していたけれども、ある時を境にその方を信頼することができなくなったことなどはないでしょうか。他人を信頼することができるか否か、についてはまた別の機会に譲るとして、今回は、自分自身が他人から信頼されるにはどうすれば良いのか、「約束の果たし方」を踏まえた内容を綴っていきます。

 

私たちは、外界から遮断された生活をおくっていない限り、他人との関わり合いの中で生きており、何かしらの形で他人からの協力を仰ぐ場面が多々あります。これは、冠婚葬祭の手伝い、銀行からの融資、子どもを預ける、下請業者へ作業を委託するなど、仕事においてもプライベートにおいても共通して言えることです。そして、他人からの協力を得られるか否かにおいて、非常に重要な役割を果たすのが「信頼」であることは言うまでもありません。では、他人からの信頼はどのようにして得ることができ、かつどうすれば一度得た信頼を失わずにいられるでしょうか。

単刀直入に言うと、信頼とは果たした約束の積重ねの先にあるものだと思います(血の繋がりや、絶対的なフィーリング、はたまた前世からの繋がり等例外を除きます)。どんな小さな、そしてカジュアルな約束であってもそれらをふいにすることなくコツコツと果たし続ける人に対しては、「この人は絶対に自分を裏切らない」という印象を持てる一方で、約束を果たすことができない人に対しては「この人は自分で同意した約束事すら守ることができない」「また約束を破るかもしれない」という気持ちが芽生えてしまうからです。これは、ビジネスシーンにおいて特に如実です。銀行等の融資に関して、返済の不履行があった場合には「信用なし」ということで新たな貸付に応じてもらえない可能性が一気に高まりますし、また、合意した通りの仕様でプロダクトを納品できなければ、他に同じような技術をもった企業や人がいないような場合を除き、同じ取引先から再度オーダーを受注するということも少なくなります。一方、友人関係などプライベートな世界においても、ビジネスほどの厳格さは無いにしても、カジュアルなものであっても約束を守らない相手に対して、何か大事なことを頼む気にはならないでしょうし、逆に頼まれごとに対して協力をしようという気持ちも持てないでしょう。忙しい現代人の場合、プライベートの時間が少ないため、かえって信頼できない相手に割いている時間などないとして、ビジネスよりもシビアにこの点を無意識的にでも考えて人間関係を構築している人も多いかもしれません。したがって、信頼という他には代え難いものを得ようとするならば、小さなことでも約束を果たし続けていくことが一番の秘訣になります。お互いに信頼し合える社会を作り上げる、という大きなことまで目指さなくても構いません。まずは自分自身を信頼に値するレベルに引き上げるためにも、ぜひ自分で作った約束を、行動によって果たし続けていっていただければ幸いです。

 

約束は、行動によって果たされるもの。

あっという間に2017年も後半に差し掛かろうとしていますね。皆さんにとって2017年上半期はどのようなものになっているでしょうか。今回のブログでは、以前からずっと書こう書こうと思っていた「約束の果たし方」について、書き綴っていきます。このブログと、次回予定の「果たした約束の積重ねが、『信頼』となる」は、本当にずっと書きたいと思っていて、頭の中に構想はあったのですが、中々着手することができなかったのは、自分自身の中で準備が整っていなかったからなのか、単にだらしなかっただけなのか…。いずれにせよ、やっと今回ブログの形で世に出すことができ、ほっとしています。

日々成立させている「約束」

私たちは、大なり小なり、日々誰かに、あるいは自分に対して「約束」をしています。飲みに行こう、ご飯を食べに行こう、遊びに行きます、お礼にご馳走します、招待します、借りた物を返します等々、その内容は無尽です。自分としては、「約束」というほどの意識を持っていなかったとしても、言葉として相手へ向けて発した瞬間に、上記のような内容は「約束」へと昇華します。このように考えると、他人に対してであれ、自分自身に対してであれ、日々沢山の「約束」を成立させていることに気づきます。

「約束」の果たし方

「約束」と聞くと、多くの人は、「守らなければならない」「簡単に破ってはいけない」と思うのではないでしょうか。もしそのように思わないとすれば、時間の無駄になってしまうので、僕のブログは読まない方が良いかもしれません(笑)。何か別の、その方にとって有益なことのために貴重な時間を使うことをお勧めします。以下はそれ以外の、「約束=守るべきもの」と考える方へ向けた内容になります。

端的に言うと、「約束」は原則として「行動」によってでしか果たしえません。原則として、としたのは「ずっと変わらぬ想いを持ち続ける」など、思想・信条・感情を目的とした約束や、逆に「●●しないこと」という不作為を目的とする約束が存在するからです。ただ、前述のように、日々成立させている「約束」は大概が何らかの「行動」を目的としたものなので、私たちが成立させた「約束」はやはり行動によって果たすことになります。

例を挙げてみましょう。友人と食事に行く約束をしていたとして、仕事の都合でどうしても行けなくなってしまった場合、当初の約束そのものは果たせないことになりますが、ここでリスケジュールをお願いする、という手段を用いることによって、当初の内容を変更することができます。この「約束の変更」により、多くの人が「約束を破ってまではいない」というある種安心にも似た感覚を覚えてしまいます。しかし肝心なことは、「約束を果たすこと」であって、「約束の変更」はあくまでその実現を先送りにしただけです。したがって、この場合の約束の果たし方は、①別の日時に食事の予定をリスケジュールし、②リスケジュールした日程に食事をする、という2点に分けられます。何を当たり前のことを言っているんだと思われるかもしれません。しかし、残念ながらこれらを真っ当に行っている人はそれほど多くないように思われます。これは弁護士としての視点から見てもそうですし、一般人としての視点からも同様です。ご自分の過去を振り返って見て、いかがでしょうか。果たさなかった約束、あるいは果たされなかった約束の多さに気が付くのではないでしょうか。そのことに気が付いた今こそが、自己の生き方を変えるチャンスだと思ってください。「約束は結ぶためにあるのではなく、果たすためにある」というマインドをもって、そして実践していくことが肝要です。

これもまた最近果たした約束の一つです。 Model: Saki Benno, Masa Suzuki Photo: Ryuya Isayama

これもまた最近果たした約束の一つです。

Model: Saki Benno, Masa Suzuki

Photo: Ryuya Isayama

果たした約束の先にあるもの

詳しくは次回のブログにて述べますが、他人に対してであれ、自分に対してであれ、果たした約束が積み重なった先には、「信頼」が生じます。逆に、果たされなかった約束の先に待つのは「不信感」です。「情け」と同じように、「約束を果たすこと」もまた「人のためならず」なんですね。

自ら信頼できる人間となり、お互いを信頼し合える社会を構築するためにも、それぞれに作った約束を果たしていってもらいたい、そう願いながら今回のブログを結びます。

***リトリート開催情報

Retreatページでのご案内は既に行っていますが、今年の夏も屋久島リトリート開催します!今年は7月20日から23日の3泊4日、昨年同様モス・オーシャンハウスをベースに、通常では味わえない屋久島の魅力を味わいながら、ヨーガを通して自身の魂を改めて見直すリトリート。残枠2名様ですので、この夏屋久島でリトリートに参加したい、ヨーガにどっぷりつかりたい、自分自身を再発見したい!という方はぜひお早目にご連絡ください。

さらに、昨年秋にタイはチェンマイにて長谷川陽子さんと開催した宇宙ヨガリトリート、今年は11月1日から5日の4泊5日、宇宙ヨガ道場という形で開催が決定しました!!(参加費用:85,000円、航空券以外の移動費(チェンマイ空港への送迎含む)、レッスン、食事、ベース・アクティビティ等全て込みです)宇宙の智慧を活かし、宇宙の法則に則って、理想の人生を歩む、そのレールへ乗るサポートを長谷川陽子と僕の2名が全力で行う5日間の「道場」となります。11月の満月の夜にタイ国内で行われるロイクラトン(イーペン祭)という一大行事が行われるのですが、何と今年はリトリート期間最後の夜である4日が満月ということで、タイ国内でも随一と言われるチェンマイの、圧巻のロイクラトンを目の当たりにすることができます!ロイクラトンの影響により航空券がかなり少なくなっていますので、びびびと来た方はすぐに連絡をください!

 

ロイクラトンの様子がこちら!壮大な宇宙を感じさせます。  Photo by vichie81/iStock / Getty Images

ロイクラトンの様子がこちら!壮大な宇宙を感じさせます。 

Photo by vichie81/iStock / Getty Images

変化を成し遂げるために必要なこと

ブログ更新が随分と久しぶりになってしまいました。

昨年11月の始めに長谷川陽子先生とともに開催した宇宙ヨーガリトリートinチェンマイの終了後(ご参加くださった皆さん、沢山の愛あるホスピタリティをくれたレック、そして妊娠中にもかかわらず熱さ100倍の陽子先生、どうもありがとうございました!)、再度別件でバンコクに行ったり人生の新たなフェーズに入ったりしたため、気づけば年も明けて年齢も30歳になり、早くも4月になってしまいました。今年は立春を過ぎても寒い日が続いたためか、桜が長く楽しめましたね。

一年の4分の1が既に終わったわけですが、皆さんの2017年はどのようなものになっているでしょうか。僕個人としては、2017年はこれまで以上に鍛錬を積み、変化を起こし、大きな成長を来すときだと思っており、そのため昨年までと比べると対外的な活動はやや少ない年になっています。

「変化を成し遂げるために必要なこと」

上記のように、今年の僕のテーマの一つはこれまでの自分からの「変化」あるいは「成長」なのですが、ではこれを実現するために必要なことは何でしょうか。

①強固な意思

あんなことがしてみたい、こんな風になりたい。誰しも生きている中でこのように思ったことは数知れずあると思います。では、実際に実現できたことはどれくらいあるでしょうか。あるいは、それを実現させるために何らかの行動に移したことはどれくらいあるでしょうか。たとえば、僕の周りで聞かれることの一つとして、「ヨーガを始めたい」というものがあります。そして、「今度クラスに行きます」とまで言う。しかしながら一向にクラスに行くこともしなければ、ネット上に沢山あるチュートリアルを用いて自分で練習してみることもしない。一体、この「始めたい」という言葉に、どの程度の意志が伴っているのでしょうか。

「あんなこと」「こんな風」の内容が、それほど自分で達成したいと思っていないことなら、そのための時間もエネルギーも割く必要がないですし、むしろ他のより強い目的のためにその時間とエネルギーを充てる方が遥かに有意義です。しかし、もしその内容を本当に実現したいのであれば、絶対に達成してみせる、という堅い意思が必要になります。ただ何となく、「いつか達成できたらいいな」という程度の生半可なものではなく、誰に何と言われようとも、というダイヤモンドの強固さが。

そして、自分自身のその強固な意志に対して責任を持つということが大事です。あなたの意志の面倒を見てくれるのは誰でしょう。それは他の誰でもなく、あなた自身です。どんなにあなたのことを想い、心を砕いてくれる素晴らしい人がいても、体と心があなたに帰属している以上その意志を果たすことはできない。だからこそ、責任は自分で持つほかない。

残念ながら多くの方はこの「初期段階」で既にくじけてしまっているように思われます。あれをやります、こうなります、という意志(「言葉」に置き換えてもよいでしょう)が弱い、あるいは意志に責任を持とうとしていない。特別な能力がなくとも、誰にでも何かを達成するエネルギーは備わっているのに、意志の強さとその意志に対する責任を持たないがために、変化を起こさないその「場所」にいつづける。一体いつまでそこにいるのでしょうか。

②変化に伴う痛み

①に述べたような、強固な意志をもって行動を始めることが重要なのは言うまでもありませんが、スタートを切ったからといって、すぐに何かが達成されるわけではありません。スタートの先に待っているのは、変化に伴う「痛み」です。ある一定程度までは変化の道を進んでいて、楽しいことの方が多い場合もあります。しかし、慣れ親しんだルーティンから離れ、別の道を歩んでいる最中に、見たくなかった自分自身の姿を目の当たりにしたり(すぐに上達しない、理解できない、などがその例です。)、これまで親しんでいた物や事、人との付き合いから遠ざかっていったりすることがあります。そういった時、私たちの心は大なり小なり痛みを感じます。そして、「こんな痛みを感じるくらいなら、変化なんていらない、元の場所に戻ろう。」と思ってしまうことがある。あるいは、顕在意識としてそこまで思わないとしても、惰性に流されてしまうことがある。そこにもし誰かから「痛みがあるのなら、元のままでいいんですよ」と耳元で囁かれると、せっかく踏み出した一歩を後ろへ引いて、戻ってしまう。痛みを乗り越えた先に、自分が目指していた場所があることをいったん意識から手放し、変化することをやめてしまう。

しかし、変化を起こすには痛みを避けては通れないことを本当に理解できていれば、停滞や後退は招かないはずです。「今、自分は痛みを感じている。でもこの痛みは、自分が起こそうとしている変化に伴って生じているもの。だから、これを何とか乗り越えれば必ず変化が来る。だからこの痛みを何とか耐えて、この道を進もう――」となって。

蟹は脱皮をする際に、失敗して脚を失ったり、命を失ったりしてしまうことがあるそうです。そのリスクがありながら、脱皮をしない蟹はいない。

もちろん僕ら人間は、死のリスクをとってまで変化の道を進む必要はないと思います。しかし、受け入れられる程度の痛みであれば、より能動的に自分の人生を歩むためにも、痛みのリスクをとってでも「変化」そして「成長」を起こすべきではないでしょうか。誰しも感じなくて良い痛みなら避けて通りたいのはもちろんわかりますが、必要な痛みであれば、その先に「変化」と「成長」があることを信じ、甘んじて受け入れるべきだと思います。

photo by Ryuya Isayama

photo by Ryuya Isayama

能動的に変化を起こすことは、特に大人になってからは思考パターンが固まってくることもあり、そう容易いことではありませんが、今回のブログを読んだくださった方に、何かのヒントがあること、そしてポジティブな変化が訪れることを願いながら、今回のブログを結びます。

 

****最後に告知です。今年も屋久島にてヨーガリトリートを開催いたします!今回のリトリートのテーマは"Discover Your Soul" 詳細はRetreatページをご覧ください。4月23日までスーパー早割、5月7日まで早割が適用されます(今回は学割とペア割も設けました!)ので、気になる方はぜひお問い合わせください。リトリート最終日、新月の夜には別イベントとしてモスオーシャンハウスにてキャンドルナイトのイベントも行う予定ですので、ぜひ延泊がおすすめです!

ヨーガやリトリートを「癒し」で終わらせないために。-宇宙ヨガリトリート、残席わずかです!

本年3度に渡って、ひだまりのお二人と開催させていただいた山梨県甲州市塩山でのリトリートを先日無事に終えました。7月の芋掘りの時と同様、インターナショナルに、バラエティ豊かな方々が参加してくださり、土に触れ、ヨガをして、とても良い時間が過ごせました。

豊かな恵みをもたらす天空の畑。

豊かな恵みをもたらす天空の畑。

リトリートを開催するにあたって、いつも朝の自己紹介から始めるようにしているのですが、その際「このリトリートに参加した理由」も簡単にお話いただいています。その中でよく聞かれるのは「普段の生活が忙しいので、エスケープに」「心身が疲れているので、リラックスしに」というものです。僕がインストラクターの勉強をしたニューヨークでは感じなかったことですが、日本ではヨーガやリトリートに対してリラックスや逃避を求める方が、特に多いように思います。

確かに、ヨーガやリトリートにはリラックス効果があると思いますし、僕自身、リラックス効果を敢えて与えるためのプログラムを組むこともあります。でも、それらを単にリラックスや癒しを求める、いわば逃避のための時間・場所ととらえてしまうと、普段自分の身を置いている日常の中のネガティブなものには変化を与えず、かえってヨーガやリトリートに対して依存関係をもってしまい、不健全だと思っています。これはマッサージなどにも共通して言えることですが、レッスンを受けたり、施術を受けたりして、その直後から一定期間までは気持ち良さが残っても、本人の過ごし方・生き方が変わらなければ、また同じところ(心や身体)に不調をきたし、結果、また同じレッスンや施術、あるいはもっと強い効果をもたらしてくれるものを求めてしまうことになるんですよね。ドラッグにも似た、依存関係が生まれてしまうのです。これでは本当に意味がない。こうならないために、教える側、開催する側は言葉を選び、気を配り、色々と手を尽くしていると思います。なので、僕のレギュラークラスに来たことがある方はわかるかと思いますが、僕のヨーガクラスは基本的にはリラックスや癒しを感じてもらうだけのものにはなっていません。それはやはり(以前のブログにも書いた通り)、ヨーガの本来の目的がそこにはなく、かつ日常生活においてより良い状態になってもらいたいからであり、僕がヨーガを教える道に進んだのも、この理由が一番です。ただ、僕らがどんなに思いを尽くし、手を尽くしても、受け手である生徒や参加者の方の心持ち、姿勢、態度が変わらなければ何も変わりません。レッスンを受けて、話しを聞いて、わかったような気持ちになることもあると思いますが、結果それを普段の自分の行動に反映させなければ、レッスンを受けなかった、あるいは話を聞かなかったのとほとんど同じです。「箪笥の肥やし」という表現がありますが、行動に移せない知識は「脳の肥やし」にすらなっていないと思います。ヨーガやリトリートに限らないことですが、少しでも思い当たる節のある方は…これを機に、今までとは心持ちを変えて日々の諸々に取り組んでください。時間はかかるかもしれませんが、これが出来れば必ず良い方へと変わります。少しでも多くの人にこのことが伝わって、皆でより良い方向に変わっていけるように、いつか「本当にやり切った」と思える日がくるまで、僕はヨーガを教え、リトリートを開催し続けていきます。

そんなわけで、2016年の最後にどどんと来ました、「宇宙ヨガリトリートinチェンマイ」おかげさまでお申込みをいただき、残枠3名様となっています。現状を打破したい方、真の自己と宇宙的視点から向き合いたい方、とにかく宇宙を知りたい方、迷わずにまずは僕に相談してください。背中を押す準備は、できています。

良きタイミングで起きたことと、新たな縁。-屋久島ヨーガリトリート振返り(番外編)

秋分の日を過ぎて、空気が本格的に秋になったように感じます。先週末、月に一度のドネーション・クラスを代々木公園にて開催し、そのまま同所にてピクニックを参加者の方と楽しんだのですが、雲がかかっていたこともありつつ、辺りが暗くなるのが先月よりも格段に早くなっており、これからどんどん日が短くなるんだなぁと感じました。今週末には山梨県甲州市は塩山(えんざん)でのハーベスト・ヨガリトリートが、来月頭にはチェンマイでの宇宙ヨガリトリート(長谷川陽子先生と開催)が行われ、いずれもまだ参加者受付け中です。チェンマイの方は、(誇張ではなく)大分フライトの残席が減ってきていますので、ご検討中の方、興味のある方、お休みがとれるか悩んでいる方、まずは僕にメッセージをください。「善は急げ」です。

さて、前回まで3回に渡って書き綴った屋久島ヨーガリトリートの振返りも、今回が最終回(番外編)になります。振返り第1弾で書いた「全ては、必ず良きタイミングで起こる。」が絵に描いたように起こったエピソード、そしてリトリート前に書いた記事『僕がリトリートを開催する理由。』で触れた「縁」がまた新たに結ばれたエピソードについて書いていきます。

エピソード1「良きタイミングで起きた、出会いと再会と、撮影。」

お気づきになった方がいらっしゃるかわかりませんが、本ウェブサイトのトップ画像、実はひっそりと変わっていました。この画像は今回予期していなかった、でも自分の中で求めていた出会いと、用意されていたかのようなタイミングでの起きた再会によって撮影された写真です。

現在のトップ画像。   Photo by lino_photo SaOri Takahashi

現在のトップ画像。  

Photo by lino_photo SaOri Takahashi

リトリート終了後、友人が繋いでくれたご縁もあって、屋久島在住の方向けのヨーガクラスを1度行ったのですが、そのクラスに偶然福岡から屋久島へ自家用車で来られていたフォトグラファーの女性(サオリさん)も参加してくださいました。クラスの後、皆で夕飯を一緒にいただいた時にフォトグラファーであることが判明したのですが(クラス後に立派なカメラで景色を撮影されていたので、もしかしたらと思って聞いてみたら案の定でした)、特に撮影をしましょうという話はその時は一切出ずに、お別れしました。翌日、友人と陶芸家の方の窯へ出かける道すがら立ち寄った土産物店の駐車場で、そのサオリさんと偶然の再会。ランチをご一緒することになったのですが、ランチの間、どちらと言うでもなく「この後、撮影しちゃいましょうか」ということに。

4月の下見の際にはカメラマン及び運転手として兄が同行してくれており、リトリートページの写真も兄に撮ってもらったのですが、今回のリトリートを経て屋久島の自然が持つ波動とより調和のとれた状態でまた撮影ができたらいいなぁと考えていて、何ならこの日は自分のカメラで、セルフタイマーを使って撮影しようかと思っていたところでした(タイマー最大12秒、三脚無しの条件ですが)。それがこの前日の出会いと、この日の再会。良きタイミングで、そして、起こるべくして起こった出来事でした。非常にアクセスの良いロケーションにもかかわらず撮影中には誰もそこに来ないなど、実際の撮影は実にスムースに進みましたし、後から計算すると1時間ほどだったようなのですが、時間の感覚が手放されるくらい集中していたため、どれくらいの時間を使ったのか、サオリさんも僕もわからなかったくらい。リトリート中の虹や星空などもそうでしたが、この撮影もまた「良きタイミング」で起こった、一つの大事な思い出となりました。

お気に入りの1つ。もっとあるんですが、諸事情によりまだ全てをお見せできないのが残念です。 Photo by lino_photo SaOri Takahashi

お気に入りの1つ。もっとあるんですが、諸事情によりまだ全てをお見せできないのが残念です。

Photo by lino_photo SaOri Takahashi

エピソード2「結ばれた縁―バヌアツへ、行きます。」

リトリート中、最初の朝ご飯の献立。

リトリート中、最初の朝ご飯の献立。

振返りブログ第2弾でも触れましたが、リトリート期間中、モスにはオーナーの今村さんの奥様の妹さんであり、現在は南太平洋の島国・フィジーに在住のマユカさんが同じタイミングで宿泊されていました。マユカさんはとても素敵なイラストを描かれる方で、毎日のお食事の献立を黒板に、たいそう可愛い絵を、これまた愛らしい一言を添えて描いてくださっていました。現在フィジーでお仕事をされているマユカさん、以前は青年海外協力隊の一員として、フィジーの西に浮かぶ島国・バヌアツにおられたそう。バヌアツの火山の話や島民の性格・特徴など、もともとバヌアツについてほとんど知識がなかった僕に、マユカさんは色々と話してくださいました。聞けば聞くほど、まだ見ぬバヌアツの地に興味が湧く僕。音の響きがまだ斬新で、惹かれますよね、バヌアツ。Edgyというか。

リトリート最終日、「ぜひ、バヌアツに行ってくださいね。」と言って、マユカさんが綺麗な色をした貝殻でできたブレスレットをくださいました。柔らかな青い色をしたブレスレットから放たれるエネルギーが、まだ見ぬバヌアツの海や山などの自然を彷彿とさせて…バヌアツと僕との間に、しっかりと縁が結ばれたように感じました。屋久島という土地で、新たな場所との縁が結ばれる。「縁は異なもの味なもの」と言いますが、この言葉が体現されたような、そんな出会いでした。来年か、再来年か。まだいつになるかはわかりませんが、この縁が僕に何を見、そして何を感じさせてくれるのかを確かめに、そしてまた新たな縁を求めて、必ずバヌアツへ行きます。行きたいと思います、ではなく、「行きます」。

マユカさんからいただいたブレスレット。下に敷かれているのは屋久島の流木で、自宅でもこのセットで置いています。

マユカさんからいただいたブレスレット。下に敷かれているのは屋久島の流木で、自宅でもこのセットで置いています。

いくつものご縁が結ばれた今回のリトリート。長くなりましたが、結ばれたご縁に心からの感謝をして、これにて振返りを終わります。

モス・オーシャンハウスの素晴らしさ。-屋久島ヨーガリトリート振返り(3)

屋久島ヨーガリトリートでは、屋久島の南側、高平集落(住所としては麦生ですが、実際に位置するのは高平)に位置する宿泊施設「モス・オーシャンハウス」(以下「モス」)にお世話になりました。4月に屋久島に訪れた際、モスにも下見に訪れて、リトリートについての話や相談などをオーナーの今村さんや、料理長のタクゾーさんとさせていただいたものの、実際の滞在、食事、ガイドを経験することは僕自身今回が初めて。きっとすごく良い時間と空間になるだろうとは予想していましたが…実際、とても素晴らしい体験をすることができました。今回のブログでは、(宣伝目的は一切なく)純粋にモスの素晴らしさと、そこでリトリートを行う意義について触れていきます。

モスのここが素晴らしい―「見事なロケーション」

バスを降りて坂道を下る時に広がる景色。

バスを降りて坂道を下る時に広がる景色。

モスは屋久島の南側・高平集落に位置するのですが、バス停で言うと「中橋」というバス停を降りて、南へ向かって畑と畑の間に通る坂道を5分弱下ったところにあります。「既にこの道を下っていく時点で視線の先に広がる海に興奮を覚えます。」敷地内に入ると、すぐに目に飛び込んでくるのが展望台そのものと言うべきウッドデッキがあるのですが、ここから望む海には種子島などその他の島が視界に入ってこないため、何にも邪魔されることのない水平線を眺めることができます。オーナーの今村さんによれば、このデッキに立つ時に体に受ける南東の風は、屋久島に雨を降らせる雲を運ぶ風だそうで、雨によって多様な苔や植物を育む屋久島に最初にその源となるエネルギーを運ぶその風を、島内で最初に迎えるのが、モスの立つエリアになるそうです。デッキ、あるいは海岸にて感じるエネルギーは筆舌に尽くしがたいほど。

天然のプール。来年ダイブするのが楽しみです。

天然のプール。来年ダイブするのが楽しみです。

また、海岸から山側へ振り返ってみれば、近くには海岸側特有の明るい緑色の森が、遠くには深い緑色をした山々を目にすることができ、この島の自然の多様性をダイレクトに感じることができます。

さらに、モスの敷地を挟むようにして二つの大きな川が流れており、そのいずれもが実に豊かかつ清浄そのもの。二つの川は天然のプールのようになっている場所があり、滝つぼで泳ぐことや岩からダイブすることも可能なのですが、そのような場所が宿から歩いて本当に間もない場所に存在していることに感激します。

 

モスのここが素晴らしい―「こだわりの施設・設備・調度品」

広いモスの敷地内にはここぞとばかりに沢山の木々や花、植物が生えており、自然を傷つけることなく丁寧に扱っていることがすぐにわかります。敷地内の木々の間には東屋があり、波の音、虫の音、鳥の鳴き声、風の音など自然の奏でる美しい音楽と、視界に飛び込んでくる鮮やかな緑色が、ヨーガや瞑想の時間を彩ってくれました。

この東屋で聞こえる音の多様さが、世界の調和(ハーモニー)を感じさせてくれます。

この東屋で聞こえる音の多様さが、世界の調和(ハーモニー)を感じさせてくれます。

僕が特に気にっていた箸置き。

僕が特に気にっていた箸置き。

また、母屋のテラスにはコーヒー・テーブルが置かれ、そこでいつでも美味しいお茶をいただくことができたり、そこに吊られたハンモックでお昼寝をしたりすることもできます。室内に入ってみれば、大きな窓からいつでも海を眺めることができ、愛情をもって丁寧に扱われていることがすぐにわかる畳やテーブル、照明、ハンモック(室内にもあるんです)、椅子、オーガニック・コットンのお布団やタオル、湯のみ等々…。書き出すときりがないほど、全ての施設・設備・調度品一つ一つにこだわり、そして滞在するゲストと屋久島の自然に対する愛情が感じられます。世の中には贅を尽くした5つ星ホテルは沢山ありますし僕自身そういった所へ滞在することを以前は好んだものでしたが、それらには醸し出すことのできない、全く別の豊かさ(abundance)をモスの施設や設備、調度品から感じることができます。

モスのここが素晴らしい―「心に染み入る食事」

ミキさんが作ってくださった「野菜のお寿司」

ミキさんが作ってくださった「野菜のお寿司」

本当に美味しい物を食べた時、僕はただただため息をつく(「あぁ」とか「Hmmmmm」とか)のですが、リトリート中、毎回の食事の度に何度ため息をついたのか知れません。今回の食事は、料理長のタクゾーさんと、昨年師岡絵美里・Masumi Lacoste両先生主催のリトリートでもお会いしたミキさんが、屋久島を中心とした九州産の新鮮な野菜や、お米、日本古来の調味料(もちろん無添加)などをふんだんに使って料理をしてくれました。タクゾーさんにいたっては、実際にご自身がシー・カヤックで沖の方まで出て釣った魚を出してくれたことも!お二人とも、こだわりを持って選ばれた食材に対する愛情が深く、食材との対話を通じて、それは丁寧な調理をしていることが食べる前の段階でひしひしと伝わるお料理なのですが、さらにそれを口に入れ、咀嚼し、食道を通って胃に収めると…何とも言えぬ幸福感が全身と心にじんわりと広がります。本当に丁寧に、愛情を込めて作られた料理の持つ暖かさとエネルギーがどういったものなのか、食が我々にとってどれだけ大事な意味を持つのか、そのことをダイレクトに教えてくれる――僕にとってモスの食事はそんな食事です。

毎回おかわりをさせてもらったタクゾーさんによる朝ごはん。この日は屋久島名物の鯖節が冷奴に乗っていました。

毎回おかわりをさせてもらったタクゾーさんによる朝ごはん。この日は屋久島名物の鯖節が冷奴に乗っていました。

集うひと、この場所でリトリートを行う意義。

大事なメンバー、コタローも(この日は、前日の台風で一人小屋に入れられていたため少し恨めしい表情)。

大事なメンバー、コタローも(この日は、前日の台風で一人小屋に入れられていたため少し恨めしい表情)。

このほか素晴らしいスポットへ案内してくれるガイドのことなど書き出していくときりがないほどモスには沢山の魅力があるのですが、行きつくのは「ひと」なのかなと思います。屋久島のこの場所とエネルギーに魅せられてガイドと宿を始められた今村さんや、一度は屋久島を離れてから再度戻って来られたタクゾーさんを始め、ヘルプで来てくださったミキさんやアイコさん、フィジーから偶然同じ時期にいらっしゃっていたマユカさんなど、魅力いっぱいの方々との触れ合いは、本当にかけがえのないものでした。8月に書いた記事「僕がリトリートを開催する理由。」にも書いた「土地と、その土地の人やその他のリトリート参加者の方と縁を結ぶ。」ということを、もっともっとやりたいと思わせてくれる、素晴らしい方々。この場所を僕に紹介してくれた屋久島在住のウェディングプランナーであり現在島内で小屋カフェ「日と月と」のオーナーでもある友人の明子ちゃんを含め、皆さんに感謝しています。

前述の記事でも書いたように、リトリートは「日常から離れた場所で自分のことに対して真摯に向き合う」ことを目的としていますが、エネルギー・自然・設備・食・人など、様々な要素からの影響を受ける以上、「どこでそれをやるか」はとても重要で、良き場所でリトリートを行ってこそ、自分自身の深層部分に向き合うということが達成されると思います。そういった意味で、ここまで書き綴ってきた素晴らしさを持つモス・オーシャンハウスはリトリートを開催するにはまさに最高の場所だなと感じますし、自分自身で初めて開催する長期のリトリートがモスで幸運だったなと心から思います。この経験を少しでも多くの方と共有し、縁を結び、また新たな「布」を織るべく、来年以降も必ずこの場所でリトリートを行いますので、ご興味を持っていただいた方、ぜひご参加ください。屋久島も、自然も、モスも、食も、人も、僕も、皆さんと会えることを楽しみにしています。

まさに「神秘的」「神聖」としかいえない、とっておきの洞窟。

まさに「神秘的」「神聖」としかいえない、とっておきの洞窟。

心の作用を止滅することが、ヨーガである。-屋久島ヨーガリトリート振返り(2)

「心の作用を止滅することが、ヨーガである」 

ヨーガの定義って何だと思いますか?柔軟性を活かした難しそうなポーズをとるエクスササイズのようなもの?美容やリラックスのための一方法?

ヨーガの経典である『ヨーガ・スートラ』は、「心の作用を止滅することが、ヨーガである」(YOGAS CHITTA VRITTI NIRODHAH)と述べ(ヨーガ・スートラ第1章第2節)、ヨーガを「心の作用を止滅すること」と定義しています。

「心の作用を止滅する」とはどういうことなのか?この点、非常に簡潔な表現にとどめている『ヨーガ・スートラ』を理解しやすく解説している本のうち、スワミ・サッチダーナンダ氏が著した『インテグラル・ヨーガ―パタンジャリのヨーガ・スートラ』(伊藤久子訳、株式会社めるくまーる発行)では、心は自分自身の鏡であるというように解説されています。たとえば、自分の顔自体を見たことは誰にもないはずです。自らの顔は、鏡や写真を通さないと見ることはできない。でも、もしその鏡に凹凸があったり色がついたりしていたら?自分の顔もまた凸凹に見え、そして色がついた状態に見えることになり、自分自身の本来の姿を見ることはできません。自己もまた同じで、自己が「自己自身」を見ることはできず、鏡の役割を果たす「心」(chitta、チッタ)に映る反射としてしか見ることができない、というのがヨーガの考え方になります。この時「心」が凹凸を持っていたり、揺れ動いていたり、そこに色がついている状態であったりしたら(これを「作用」(vritti、ヴリッティ)といいます)、自己自身を正確に見ることができない。そのため、自己自身がそれ本来の状態にとどまることができない(ように見える)。逆に、心の作用が止滅された(nirodhah、ニローダハ)時、自己は「それ本来の状態にとどまる」(TADA DRASHTUH SVARUPE VASTHANAM)(同第3節)。この時、心はいかなる作用もなく、全き平穏な状態を保ち、「自分自身」を正確に映し出すようになります。しかし、「その他のときは、(自己は)心のさまざまな作用に同化した形をとっている(ように見える)」(VRITTI SARUPYAM ITARATRA)(同第4節)、つまり、凹凸や色や揺れ動きが自分自身となり(正確には、そのように見える、ということ)、平穏からはかけ離れた状態となります。

屋久島の木々。

屋久島の木々。

「心の作用が止滅された状態」である全き平穏な状態を自然の中に感じる

では、「心の作用が止滅された」状態、すなわち「チッタ・ヴリッティ」が「ニローダハ」された状態とは、どういうものなのか。これを完全に説明することはほぼ不可能です。なぜなら、言葉という概念をはるかに超えた概念を言葉で表現することはできないから。下位概念がその上位概念を完璧には説明できない、と言い換えることもできますね。言葉で表すこと自体が「作用」なので、「作用」によって「作用が止滅された状態」あるいは「作用が無い状態」を説明することはできず、あくまで自己の体験をもってしか理解することはできないのです。

今回のリトリート中、「チッタ・ヴリッティ」が「ニローダハ」された状態ってこういうことかな、という体験がありました。それはあくまでも推測に過ぎないのですが、こういう体験です。

台風が通過した今回のリトリート。屋久島が暴風域に入っていたその時は室内でアーサナの練習をしていたのですが、その後ディナーの頃には雨がほぼ止んでいました。それでもまだ外はかなりの風が吹いていて、暗闇に外の景色が見えなくても、その音からかなりの波が立っているのが手に取るようにわかりました。この時、風向きの関係でリトリート会場のモス・オーシャンハウスでは海を臨む南向きの大きな窓を開けても室内には風が一切入って来ず、聞こえる音から外界の状況こそわかるものの、そこで吹いている風はまさに「どこ吹く風」。こちらの状態を物理的・精神的に乱すものは何もありませんでした。外はびゅーびゅーと風が吹いていて、波が立ち、木は吹き飛ばされんばかりなのにもかかわらず、対照的にこちらは実に落ち着き、穏やかな状態でいる。この状況を静かに俯瞰した時、「心の作用が止滅された状態って、こういう感じなのかな」と思いました。自分自身(見る者、プルシャ)がそれ本来の状態にとどまっていれば、その他のものである自然(見られるもの、プラクリティ)がどんなに激しく揺れ動こうと、その影響を一切受けることがなく、自己は平穏な状態に、ただただ穏やかな状態にある。それは決して外界(自然)に対して「無関心」であるというのではなく、シンプルに「同化しない→影響を受けない」状態であり、自己が影響を受けないところで大きなうねりがあることを客観的に認識しつつ、ただその中に巻き込まれることがない状態です。

前述の通り、言葉ではその状態を完全に説明することは不可能で、そのことがもどかしくもあるのですが、でもそれが真理なのでここは潔く諦めるとして、「心の作用が止滅された」(CHITTA VRITTI NIRODAHAH)状態がどういうものなのかを、計り知れないエネルギーの塊である台風という現象をもって自然が教えてくれた、そんな体験でした。

「会いに来てください。」

Photo by lino_photo SaOri Takahashi

Photo by lino_photo SaOri Takahashi

今回のブログ、屋久島ヨーガリトリート振返り第2弾は、いつもとは少し変わってヨーガ理論を中心に書いてみましたがいかがだったでしょうか。ヨーガのイメージが変わったという方もいるだろうし、いや、そんなこと知っていましたという方も沢山いると思います。もし興味を持ってこういった話をもっと聞きたいという方がいれば、ぜひ僕のクラスやリトリート、ワークショップに来てみてください。直接的に話を出すこともあれば、敢えて言葉にせずただ体験として共有し得るような形にすることもありますが、お互いのチューニングさえ合えばきっと伝わるはずです。特に日常生活を離れた自然の中で体験を共有するリトリートでは、普段落とし込むことが難しい奥深いところまで伝わりやすいです。このブログを読んだ誰かと、どこかでお会いできるのを楽しみに、今回のブログを終わります。

 

 

*今後の予定

レギュラークラス:Sunday Morning Yoga/Wednesday Evening Yoga(詳細はClassesページへ) 

(https://www.facebook.com/events/490661987792511/)

 

9/24: トークイベント”Bakatare” by小出一富・Masa Suzuki

9/25: [Donation Class] Park Yoga + Picnic in Yoyogi Park 

10/2:  [天空の畑の土に触れ、大地の恵みを頂く]ハーベスト・ヨガリトリート@塩山(詳細はRetreatページへ)

10/15: 第2回師岡絵美里のおはなしヨーガの会『シッダールタ』(ゲストダンサーとして出演)

10/16: 特別ワークショップ「満月のエネルギーを受け取る」月礼拝とヨーガ・ニードラ(仮)

11/3-6: 宇宙ヨガ・リトリートinチェンマイby長谷川陽子・Masa Suzuki(詳細はRetreatページへ)←色んな意味でスペシャルなリトリート!

全ては、必ず良きタイミングで起きる。-屋久島ヨーガリトリート振返り(1)

主催としては初めての長期開催のリトリートが去る9月4日に終わりました。

4泊5日に渡るリトリートは、それは濃厚で、屋久島という素晴らしい島の大地や、気候、空、太陽、月、星、海、山、川、森、植物、虫、鳥そして人々から、実に沢山の学びを与えてもらったリトリートでした。あまりにも学びが多くそして深かったため、振返りの記事を一つにまとめることができないほど。素晴らしい学びを与えてくれ、無事にリトリートを始めから終わりまで開催させてくれた屋久島には、感謝の念しかありません。今回得た学びを少しでも多くの人にわかりやすく伝えるため、振返りは今回の記事を含め4つの記事に分けて綴っていこうと思います。

「雲が空を覆って、闇が広がっているように思えても、そこには必ず光がある。」

知識として知っていても、深い体験を伴わないと本当の意味で理解できないことってありますよね。または、知っていたはずなのだけど、知らず知らずのうちに忘れてしまっていることとか。「人に何かを教える」ということをするようになって、自分が学んだ事柄が増え、かつ深まっていると意識していましたが、改めてまだまだ教わるべきことが多いのだということに気づかされました。

今回のリトリートで滞在させていただいた屋久島の宿泊施設「モス・オーシャンハウス」は島の南側の海に面して立っており、東から昇る朝日が美しく見えるところです。そして、モス・オーシャンハウスには海が一望することができるデッキがあり、夜にはそこにゴザを敷いて満天の星空を寝転がってみる(通称ゴザネタリウム)ことができます。リトリート期間中も初日には天の川をはっきりと目にすることができる圧巻のゴザネタリウム初体験を、2日目にはその素晴らしい星空の下で新月の日に新たな自分に生まれ変わる瞑想をし、2日目、3日には美しい朝日を拝むことができました。

3日目の朝焼け。

3日目の朝焼け。

しかし、開催期間中に台風12号が屋久島付近を通過した今回のリトリート。3日目の朝の瞑想とヨーガを始める前に明るく海面と空を赤く染めていた朝日が、1時間の練習を終えて海側へ戻ってみると雲に覆い隠されていました。さらには、湿った空気が台風の接近を感じさせました。

同日夜から翌日午後にかけて台風は接近し、4日目に予定していたアクティビティは中止。午後に行ったヨーガの練習中には強いエネルギーを伴って、強い雨風を大地へと叩き付けるようにしていました。その後いつの間にか台風が過ぎ去って、夕飯の頃には風向きの関係でモス・オーシャンハウスの南側の窓を開けていても雨も風も吹きこんで来ないほどに。せっかくなのでその日の夜の瞑想はテラスで、色んなものが台風によって洗い流された清浄な空気の中で行いましたが、目を閉じる前に星は一つも見えないままでした。

先ほどの朝焼けから、1時間後の空。

先ほどの朝焼けから、1時間後の空。

もし僕たちが雲のかかった空しか知らなかったら、昼も夜も、屋久島には、あるいはこの世界には太陽も星もなく、闇が広がっているんじゃないかと思っていたかもしれません。

それでも僕たちは圧倒的な体験として、その雲の向こう側に、飛び切り美しい朝日があること、その雲の向こう側に、きらきらと瞬く星が広がる夜空があることを知っている。

たとえ今この目にたった一筋の光も見えなくて、闇しか広がっていないように見えたとしても、その闇の向こうには必ず光がある。だから焦らないで、恐がらないで、安心して、自信をもって進めばいい。いつだって、光はそこにあるから。

そう教えられました。

「全ては、必ず良きタイミングで起きる。」

台風が去った日、テラスで行った最後の夜の瞑想の後に参加者の方へ、リトリートの振返りとともに「雲の後ろ、闇の向こうにも必ず光がある。」という話をした時、すすすと雲が動きました。話し始めた頃には一つの星も見えなかったのが嘘だったかのように視線の先には明るい星が姿を現し、その数は徐々に、でも確実に多くなっていきました。まるで、闇の向こうに光がある、とその時話していた事柄を証明してくれてでもいるかのように、最高のタイミングで。

さらには翌朝、リトリート最終日。台風が去って屋久島の東の空には、神々しいまでに美しい朝焼けが広がっていました。あまりにも美しい朝焼けだったので、海岸に降りて朝の瞑想とヨーガを行うことにし、海岸線へと降りたところ…朝日とは反対方向に振返った僕たちの視線の先に、虹がかかっていました。そしてもう一度朝日の方へ視線を戻せば次は吉兆とされる彩雲が。

思わず、これ以上無いタイミングで屋久島を司る神々から「祝福」を与えられたような気持ちになり、生まれて初めて、ただ虹や空、景色を見るだけで涙が流れました。

僕に初めて涙を流させた虹のギフト。

僕に初めて涙を流させた虹のギフト。

往々にして僕たちは、何か事を起こすときに自分が思い描いたようなタイミングで実現できないと、苛々したり不安になったりしがちです。でも、全ては必ず最良のタイミングで起きる。それは自分が当初思い描いたタイミングではないかもしれないけれど、自然が、地球が、宇宙がベストと判断されたタイミングで必ず目の前に現実として現れる。だからそれまでは、ただ誠実に自分が行うべきこと、行うと決めたことを積み重ねていけば良いのだと、そう教えられました。

実は自分自身、今回リトリートを開催するにあたり、想定していなかった困難や、その他のシーンでも難しい局面が自分に訪れ始めていた時期だったのですが、このリトリートを今開催した意味は、自分自身の学びのためだったのかなと思われるくらいに、ズバリなタイミングでのこの学びでした。そしてこれに気づいてからは、これら困難は依然問題として消えたわけではないけれど、それほど大きなことではなく、「焦ることなく、誠実に、真摯に」行っていれば必ず大丈夫、必ず良いタイミングで全て起きるから、というマインドに切り替わることができました。真理をまた、身をもって体験したからこそ、そういうマインドになれるんですよね。

本当に自然って偉大だなとつくづく思います。

今回残念ながらご参加いただけなかった方にも、そしてこのブログを読んで初めて屋久島でリトリートを開催していたことを知った方にも、少しでもこの学びが伝わって、あわよくばそこからまたその先へ広がっていったら嬉しく思います。長くなりましたが、これにて屋久島ヨーガリトリート振返り(1)を終わります。

最後の朝に見せてくれた、神々しい光。

最後の朝に見せてくれた、神々しい光。

僕がリトリートを開催する理由。

東京は暑い日が続いていますね。最低気温の高い日、すなわち夜中や明け方の暑い日が続くとどうしても寝苦しく、体力が低下しがちになりますが、窓を複数個所開けたり保冷材を寝床の周りに配置したりなどして、どこまで冷房をつけずに眠れるかに挑戦している日々です。

さて、先日のことになりますが、もうすぐアジアを離れてしまうアイルランド人の友人を訪ねて9年ぶりに台湾を訪れてきました。2年ぶりに再会した友人と台湾北部のビーチ(今年初の海!)や台北市内の夜市に行ったり、友人の友人達とご飯を食べたりして、週末だけと短くはありましたが、大変良い時間を過ごすことができました。9年前はまた違った形で、台湾という国、台北という街と縁が結べたように思います。

現在retreatページでも募集している屋久島ヨーガリトリートをはじめ、山梨県は甲州市・塩山にてひだまりのお2人と不定期で開催させていただている1dayリトリート(次回は10月2日開催、枝豆の収穫ができます!)や、今秋に開催予定の宇宙ヨーガリトリート(詳細はまた後日リリースしますね)など、僕は比較的よくリトリートを企てている方かなと思います(海外だと旅をしながらヨガを教えている先生なんかもいらっしゃるので、それに比べると僕はまだまだですが笑)。

僕はこれまで、地球上での経験を存分に楽しむべく、国内・国外を問わず本当に色々なところへ訪れさせてもらってきました。行く先々で出会う人や素晴らしい土地との縁。それらが折り重なって、積み重なって、僕という人間の大切な基礎を築き、大きな財産となってくれています。

そして、今年。これまで自分一人で行くことが多かった、生活圏から離れた国や地域へ様々な人をリトリートという形で連れていきたいと思うようになりました。色んな方に日常生活から離れた場所で自分をしっかりと見つめる機会をもってもらいたいというのが一つの理由です。そしてもう一つ、これまで自分がご縁を頂いてきた土地や人と、そこに住まない人が僕を介して縁を結べたら、という想いがあります。 

「日常を離れて、自分自身を見つめること」

普段の生活の中にいると、仕事や家事、通勤、通学、子育てその他諸々の雑務(いずれも素晴らしいものではあるのですが)にどうしても意識がいってしまい、中々「自分自身」に対して意識を集中することは難しいように思います。それはある意味では仕方がないというか当然のことではあるのですが、本当にやりたいことを見つける、自分が持ち合わせているエネルギーを使い切る、そして今回の人生を全うことは、「自分自身」と正面から向き合うことなしには決して成し遂げられることではないと考えています。だからこそ、日常から離れた場所で自分のことに対して真摯に向き合う時間を持ってもらいたい。そして、自分自身に向き合うことを目的とする時は、観光目的の旅行ではなく、自然の中でヨガや瞑想、あるいはお互いの人生観について共有することなどを内容とし、圧倒的な効果をもって(いやがおうでも)自分自身と向き合わせてくれるリトリートへの参加を心からお勧めします。時に自分自身と向き合うその体験には一種の苦しみを伴う場合もあるでしょう。見たくなかったこと、思い出したくなかったこと、これらが顕在意識下に一気に表出してくることもあります。でも、その苦しみ(ヨガ哲学でいうところの「タパス(苦行)」を乗り越えてこそ、真の意味で自分自身に向き合うことができ、よい深い人生を歩むことができるので、ぜひその苦しみに立ち向かう勇気を持ってもらいたいなと、そう思います。その勇気さえ持つことができれば、あとは波に乗るだけです。ぜひ、より多くの方々に一気にその波に乗ってもらいたいと思います。

「縦の糸と、横の糸と」

上述のように、これまで僕は、僕自身と色々な土地やその地に住む方々との縁を結んできました。それこそ東西南北、縦横無尽に足を動かしながら。そして今、この自分が結んできた縁をある種の軸あるいは媒介として、更に色々な方々と、様々な土地や人々との縁を結ぶお手伝いをしたいと思っています。なぜそう思うのか?正直なところ自分でもその理由はよくわかりません。ただ、これまで自分が一人ででも色んな土地を巡ってきたのは、この目的のためだったのかなと感じています。一人では中々腰を上げられなくても、誰かがきっかけを与えることで背中を押されて未知の土地へ、世界へ飛び込める人って、意外と多いのではないかと思うんです。そして、僕の開催するリトリートに参加してくださった方が、その土地と、その土地の人やその他のリトリート参加者の方と縁を結ぶ。その縁が集まって、縦の糸となって横の糸となって、そこでまた別の縁が生まれて、一枚の布が織りなされていってくれたらこんなに嬉しいことはないなと思わずにはいられません。「織りなす布は、いつか誰かを暖めうるかもしれない」 とは、中島みゆきさんの『糸』の歌詞ですが、僕が介在となって結ばれた沢山の縁によって織りなされるご縁の布が、いつか誰かを暖めてくれたら、と願います。

ここに書いたことが僕がリトリートを開催する全ての理由ではないのですが、大きな理由は以上の2点です。この想いに共感し、自分自身を見つめ、新たな土地や人とのご縁を結びたいと思ってくださった方々、ぜひぜひリトリートにご参加いただければ幸いです。直近開催の屋久島リトリートもまだまだご参加いただけますので、お気軽にお問い合わせください!

 

モチベーション・コンサルティング、はじめます。

3週間ほど前にふと思いました。

「やりたいことや目標があるけど、モチベーションが上がらなくて悩んでいる人に一筋の光を渡そう。」

スポーツ選手、ビジネスマン、学生など、どんな人であってもモチベーションには波があります。そして、その波が下がって欲しくない時に下がってしまうことも多々あります。スポーツ選手であれば、試合が近づいてきているのに練習に身が入らない、気持ちが乗らない。ビジネスマンであれば、大事な案件の目標達成に向けて一気に気持ちを盛り上げていきたいのに、なぜかやる気がわかない、などがその例ですね。一般の方であっても、例えば仕事以外で何かやってみたいことがあるけど、それを始めるためのモチベーションが欠けているために、中々一歩を踏み出せない、というようなことがあるかと思います。

これまでの人生の中で、僕自身そのような状況にある方々と多くお話をする機会を頂き、かつそのほとんどの方が僕と話しをすることでモチベーションが上がったと話をしてきてくれました。その中にはビジネスマンもいれば、受験に悩む方、オリンピック選手など多種多様な方がいます。 

僕のブログでは人生を如何に豊かに、そしてワクワクしたものにするかという観点から文章を書いていますが、内容によっては文章だけでは届きにくいことも多々ありますし、個人の置かれている状況によって、届けるべきメッセージの内容や方法は変わります。

そこで、個人個人のモチベーションをダイレクトに高めるため、マンツーマンでのセッションを開始することにしました。それが、「モチベーション・コンサルティング

このセッションでは、僕の持っているあらゆるスキル(シータヒーリング、ヨガ、瞑想、弁護士などなど)を総動員して、クライアントが抱えるモチベーションに関する問題点を洗い出し、それを解決し、最終的にクライアントのモチベーションを高めることを内容とします。

具体的な内容や手法は、クライアントの置かれた状況、問題点の内容等によって様々になりますし、時に目標自体に問題がある場合(たとえば本来自分が望んでいないような内容を目標にしている場合)にはより根本的な解決を導くため目標を変更することを提言する場合もありますが、最大限クライアントのモチベーションに関する悩みの解決に尽力し、そして最終的に「本来自分はこのようにありたい、そのために全力で突き進む!」と思えるようなサポートをすることを保証します。

セッションは基本的には対面での対話形式(遠方の場合はskypeを利用)となり、費用は60分間辺り7,000円(税別)(以降、30分毎に3,000円の追加料金が発生) となります。

トライアル価格として、初回のセッションに限り60分間4,000円(税別)にてセッションを承ります。  

ご質問やご興味のある方、セッションを希望される方は、本ウェブサイトContactページより、まずはお気軽にお問い合わせください。

生まれ来る命と、去り行く命と。

7月ですね。Retreatページにてご案内の通り、屋久島ヨーガリトリート、ただいま早割期間を延長して参加者を募集しております。ご興味おありの方、ぜひお気軽にご連絡ください。今回はアーサナや瞑想はもちろん、ヨーガ哲学の講義、そして屋久島の自然を存分に満喫するためのアクティビティもご用意しておりますので、日常から離れて自分自身をしっかりと見つめたい方に、ご満足いただける内容になっています。 

さて先週後半から、比較的短い休暇を北海道の実家で過ごしてきましたが、本日東京へ戻ってきました。思うことがあって、機内にて短めにブログを更新する予定でしたが短く終わる内容でもなく、結局いつもと同じくらいのボリュームになってしまいました。

たいへんめでたいことに、今年僕のまわりでは姉や親友などをはじめ、新たな命の誕生がそれはそれはよく聞かれます。安産であっても難産であっても、新しい命をこの世に迎えるということは、本当にかけがえのないことなんだと、嬉しい報告をもらったり、赤ちゃんたちの顔を見る度に心から思います。
一方、身近なところでの悲しいお知らせもまた、今年は今までよりも多くなっています。自分自身の親族ではまだありませんが、近しい友人の家族や親の友人など、自分の近しい人の悲しい顔を見るとこちらも胸を鷲掴みにされたような気持ちになります。

ヨーガの基礎となるインド思想にはサンサーラ、すなわち輪廻という概念があります。サンサーラをごく平たく説明すると、解脱に至るまで魂がいくつもの生と死を繰り返すこと、と言えます。インドだけでなく、東洋には生まれ変わりという考え方が浸透しているように思います。

サンサーラを念頭に置く限り、僕たちが日頃直面する(肉体的な)死というものは「その人自身」の死ではなく、「その人自身」(魂、とも言えるでしょうか)が辿るサイクルの一部に過ぎないことがわかります。そして「その人自身」は、また別のカルマを達成すべく別の形態をもって生まれて来る。だから、その人にとっては決して死は忌むべきものでも果てしない悲しみをもたらすものでもない…と。
しかしながら、僕らの「心」が揺れ動き、そして対象への執着を持ち続ける限り、別れの苦しみから無縁であることは非常に難しいことです。風が止んだ湖の水面が、一つの歪みもなく空を、そして雲の流れを映し出すように、心もまたその揺れ動きを止めることができれば良いのですが、それはそう簡単なことではなく、ある瞬間にとどまろうとし、そして像を揺らします。でも、僕らは知識として上記の事柄、すなわち肉体的な死が、「その人自身」にとってはサイクルの1つに過ぎないことを知っているのだから、心の作用を、まずはポジティブなものへと変えていき、その重なりの上に作用を止めた完全な平穏へ達することを目指せば良いのではないか、今はそう考えています。そして、こと生と死に関しては、今向かい合う命に対して精一杯の、そして無条件の愛情をもって関わり合うことが、揺れ動く心の、最もポジティブな作用なのではないか、と。 

生まれ来る命に、歓迎と祝福を。
去り行く命に、感謝と労わりを。
共に歩む命に、尊敬と希望を。

 

そこまで遠くない将来に僕も、僕の大事な人たちも、今ある肉体を離れる日が来ます。それは明日かもしれないし、15年後かもしれないし、50年後かもしれない。それがいつであったとしても、ポジティブな態度をもって向き合っていようと、強く思わされたこの数か月でした。

暑い暑い夏が始まりましたね。2016年ももう7月。体調を崩されないよう気をつけながら、しっかりと夏を楽しんでください。最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。

やりたいことがわからないんだったら。

こんにちは、Masaです。

約1ヶ月ぶりの更新になります。この間、全日本田植え選手権に出場し、初めての田植えでなんと優勝してきました。生まれて初めての田植えで全日本チャンプ!チームに入れていただいたマイムマイム奥州の皆様に感謝です。9月にはこの地で大人の休日と銘打ったヨーガ・リトリートの開催を企て中。詳細が決まったらまた告知しますね。 

さて、先日久しぶりに大好きな友人に会ってきました。司法修習の10ヶ月間をともに那覇で過ごした彼女。当時は毎月離島へ仲間と一緒に行ったり、本島の中をドライブしたり、一緒に無邪気に遊んでいたけれど、現在は都内の大きな法律事務所で弁護士として活躍されています。自分も3年ほど前まで同じような環境で働いていたことを考えると、今でもその環境で働いている彼女のタフさを感じるとともに、それでも元気そうな顔を見ることができて、僕も元気をもらえたりして。

ただ、会話の中で「私、Masaみたいに本当に自分がやりたいことがわからないから」と言っていたのが気になりました。

少なくない人数の方からこのような言葉を聞くことがあります。「本当に自分がやりたいことがわからない」と。でも、こういう言葉を聞くたびに「その時その時でやりたいことなんて変わるのだから、些細な事でもいいから、少しでも興味のありそうなことをとにかく何でもやってみればいいのに」と思ってしまいます。もちろん、本当にやりたいことを既に見つけていて、それに精いっぱい時間とエネルギーを費やしているのであれば、その他のことなんてやらなくていいと思うし、そもそもその他のことに費やすエネルギーなんて無いでしょう。でも、今やっていることが「本当にやりたいこと」でないのなら、「本当にやりたいこと」に出会うために、自分の手と足と時間とエネルギーを使ってどんどん動いていくしかないんです。「時間が無いから中々そうはできなくて…」と思う人もいるかもしれません。でも、その「時間」は何のために使っていますか?「誰のための時間」でしょう?後で振り返った時に、「あれをしておけば良かった」「あぁいうことがやってみたかった」と思っても、もう遅いんです。「今、この瞬間」の自分のことを、もっとよく考えてみてください。やってみたら思ってたほど面白くないこともあるでしょう。あぁ、これじゃなかったのか、と少しがっかりすることもあるかもしれません。でも、それでいいじゃないですか。また別の興味の中に「本当にやりたいこと」が見つかれば、それでいいんです。

「経験」ほど大きな財産は、それほど沢山ない。

結局のところ、人は経験からしか学べません。どんなに他人が言葉を尽くして、身振り手振りを尽くして何かを説明したとしても、説明を聞いた当人がそれを経験しなければ本当の意味での理解などできない。リンゴを食べたことがない人に対して、どんなに頑張ってリンゴについて説明しても、その人はリンゴを食べてみるまでリンゴの味はわからないのと一緒です。「経験」ほど大きな財産は、「人との縁」などその他わずかな数しか無い。だからこそ、色々なことに手を出して、経験を増やしてもらいたい。そうでなければ、自分自身のことすら理解ができないし、「本当にやりたいこと」も見えてきません。これは老若男女問わず、共通して言えることです。一見突拍子も無いように見えることだったとしても、それが最終的にその人にとって最高の経験になり得るんです。だから、躊躇なく、色々なことに挑戦してもらいたいと心から思います。

少しでも多くの方が「本当にやりたいこと」に出会って、時間と体とエネルギーをそのために使えるような世界にするために、自分ができることを精いっぱいやる。これが今僕自身が一番やりたいことです。明日から2016年も後半に入ります。何らかの形で、いつか僕の働きがこの世界に役立つ日が来ることを願いつつ、今回のブログを終わります。

 

言語によるコミュニケーションは難しい。

五月ですね。ゴールデンウイークも空け、忙しい日常に戻られている方が多いと思います。いわゆる五月病のような気分になっている方もいらっしゃるかもしれません。

今年のゴールデンウイークはいかがでしたか?僕自身は、山梨県は甲州市・塩山での日帰りヨガリトリート、世界遺産高野山での結縁灌頂への参加、京都での大親友との再会、神戸でのヨガワークショップ、コンテンポラリーダンスのリハーサル、友人宅や自宅でのホームパーティーなどなど、例年に比べても非常にアクティブで充実した時間を過ごすことができました。わざわざ遠方からリトリートやワークショップに参加してくださった生徒さんや、沢山遊んでくれた友人の皆に感謝しています。ちなみにゴールデンウィーク最終日、母の日にはスイスに住む姉が第二子となる女の子を出産。この上なく嬉しい締めくくりになりました。

 

さて、表題の件です。

いつの頃からか、僕は言語によるコミュニケーションは難しいと考えるようになり、それは今でもずっと変わりません。「弁護士なのに、大丈夫?」と思われるかもしれません。実際、こういうことを言うと、「弁護士なのに?」と笑われることがほとんどです。しかし、実際に弁護士として法律関係の文書を作るだけならともかく、法律から離れたコミュニケーションをすることと、弁護士としてのスキルを持っていることとは全くと言っていいほど関係がないと僕は思っています。

「送り手と受け手のバックグラウンドが違えば、それぞれの理解・解釈が異なる」

なぜこの二つに関係がないかと言うと、弁護士が用いる文書(法律など)や作成する文書(契約書など)においては、使われる用語の定義がその文書上に定められているか、あるいは、一般的な解釈が文献によって示されているため、文書に触れる法律のエキスパート同士に理解の食い違いが生じないよう、細心の注意が払われている一方、法律から離れたコミュニケーションにおいてそのレベルでの高度な注意が払われることは少ないからです(もちろん解釈に幅をもたせるために、法的文書の中で定義が曖昧な用語が用いられることは多々ありますが、それらが紛争の争点となることは想像に難くありません。)。  

他方、通常のコミュニケーションにおいては、定義や解釈が統一されないままが用いられるのがほとんどでしょう。たとえば、話している傍で国語辞典をめくって用語についての意義を確認しながらコミュニケーションをとっていれば別ですが、僕が知る限りそのようなことをしている人はいません。そうすると、ある用語や慣用句、熟語等の理解・解釈というのは、その人のこれまでの人生における知識、経験、バックグラウンドに委ねられることになりますので、同じ用語についての理解・解釈について、送り手と受け手の間で齟齬が生じるのは当然ということになります。たとえば、ある人がAという単語をポジティブにとらえていたとして、別の人に対して、「あなたは本当にAですね。」と言った場合を考えます。この時、受け手が過去にAという単語にまつわる思い出したくもない過去を持っていた、あるいは単純に全く違うネガティブな解釈をしていたとしたら、受け手は、イヤな気持ちになり、送り手に良いイメージを持たないでしょう。「いやいや、一般常識から考えたら、この言葉はこういう意味を持っているということが明らかじゃないか」と思われる場合もあるかもしれません。しかし、一般常識というのも、一体どこの範囲をとらえてのものなのか、実に曖昧です。ある地方で育った人の持っている常識が、その他の地方では全く常識として通用しない、10年前の常識が今は常識外れ、というようなことは例を挙げるまでもなくままあることですよね。このように、実は「常識」とは流動的かつ実はあまり汎用性のない脆い概念なので、これに依拠してコミュニケーションをとることは、実は危険なことなのでは、と僕は考えています。

「誤解がありうることを前提にしながらも、丁寧に言語を扱う。」 

では、どのようにして誤解のないコミュニケーションをとれば良いのか。

一つには、言語以外のコミュニケーションの方法を考えることが挙げられます。「どういうこと?」と思われるかもしれませんが、外界に表れる全てのものはコミュニケーションの手段となり得ます。人によってはそれが音楽であり、絵であり、プロダクトであり、踊りであり、あるいは料理だったりする。愛情を込めて作られた料理を口にした瞬間に、作り手の想いがそれを食べた人の心へと届く、悲しみをもって制作された絵画を見た人が共感して涙を流す、というようなことを想像すると言語以外のコミュニケーション方法、という概念が理解できるのではないでしょうか。言語を介さない分、もちろん相手のバックグラウンドによる変換はありつつも、このコミュニケーション方法は、ストレートに相手の心へと流れます。そして、そこには語学という意味での言葉の垣根が無い。僕が言語以外のコミュニケーション方法が大好きな理由の一つです。荒井(松任谷)由実さんの「やさしさに包まれたなら」という曲の中に、「目にうつる全てのことはメッセージ」という歌詞が出てきますが、これを更に広げて、(物質次元においては)「外界に表出される全てのことはメッセージ」であると言える思います。

また、もう一つは、「言語を丁寧に扱う」ということです。上記のような「言語以外のコミュニケーション方法」を用いながらも、やはり今生きているこの世界では言語がコミュニケーションの基礎であることに変わりありません。それであれば、出来得る限り正確に、心を込めて、そして丁寧に扱った言語によってコミュニケーションをとるということが肝要だと思います。新約聖書においても「始めに言葉ありき」と記され、言葉はすなわち神であるとされているほか、日本古来の考え方としても「言霊」という概念が示している通り、言葉には現実の事象に対して何らかの影響与える、霊的なエネルギーがあるとされています。このエネルギーを正しく使うことができれば、コミュニケーションは誤解の生じにくい、滑らかなものになるでしょう。そしてそのためには、可能な限り言葉の意味を正しく理解し、省略したり適当に扱うことなく、丁寧に言語を用いることが実に重要だと思います。 

それでもやはり、言語によるコミュニケーションには誤解を避けて通れない面があります。しかし、そのことを意識した上で、誤解が生じないようにそれを用いることができれば、齟齬や争いやいさかいが大きく減って、お互いのことが理解できるようになると思います。そしてそれが、きっと世界の平和につながる…少しでもそういったことを意識できる人間が増えることを願いながら、自分自身に対する戒めの意味も込めて、今回の記事を結びます。

選択の基準は、「良心」

前回のブログでは「それぞれの人間が、全ての瞬間を大事に過ごし、その時点でのベストな選択をし続けることで、最高に幸せな人生を全うする。」ということを書きました。では、その「ベストな選択」の基準は?

言うまでもなく、選択の基準を間違えると自分のための人生が、全然違った方向に向かってしまいます。そしてある時に人生をふと振り返ってみて、「誰のための、何のための人生なんだろう?」と思うことがあるわけです。さらには、今生を終える際、「あぁ、もっとこういうことがしたかった。あぁいうふうに生きたかった。」となりかねない。そのようにならず、「良い人生だった、楽しかった。」と思うためにも重要なのは、選択の基準を「自分の良心」に置くことです。あるいは、「良心」という言葉を「信念」に置き換えても良いと思います。

たとえば、人生の中である変革を迎える時を想定してみます。この時、一つの選択肢は(A)自分の信念からはしっくり来ないが世間一般(この「世間」というのも、それをどこに設定するのかによって様々なため、非常に脆い概念ですが。)から見て穏当と思われるもの、もう一つの選択肢は(B)社会的にみてまだ誰も成し遂げたこと無いが、自分の信念に限りなく沿っているものであるとしましょう。この時、「自分の良心」を基準にどちらが自分にとってベストな選択なのかを考えた時、自ずと我々は(B)の選択肢を選ぶことになるでしょう。しかし、家族、友人、先輩、上司、社会、その他自分以外の者が「穏当だから」「もったいないから」と言っているというだけで、自分の良心を選択の基準に据えなかった場合、かなりの確率で我々は(A)の選択肢を選ぶことになるでしょう。そのようなケースにおいて、「自分の良心の声」に対しては耳をふさがれ、「自分の信念」の存在は無きものとして扱われます。そして、後から何故その選択をしたのか問われれば(それを声に出すかどうかは別として)「社会的にみて(A)が穏当だと思ったから」という理由を答えることになるでしょう。それが自分の信念からの選択でないことについては触れないままに。でも、その(A)の選択というのは「自分以外の者にとって」ベストな選択であり得ても、「自分にとって」ベストな選択とはとても言えないでしょう。なぜならその選択は自分の良心に従ってなされていないから。

「小さなことからでいいから、良心に従った選択をしていく。」

確かに、自分の良心に従って、いわゆる常識とは違った選択を行い続けることにはある程度の恐怖が伴います。人間は社会の中で生きる生き物なので、自分が属する「社会」とずれや摩擦を起こすことは、怖い。なので、僕としてもいきなりドラスティックな選択をしろということは言いません。(弁護士辞めてヨガの修行に出なさい、とか。)でも、周りにほとんどインパクトを与えないような小さな事柄についてまで良心の声を無視しつづけると、やがてその声が一切聞こえなくなり、結果前述のように何のための、誰のための人生なのかわからない一生を歩むことになってしまう。それって、とても不幸なことじゃないでしょうか。それを避けるため、そして良心の声がいつでもはっきりと聞こえる耳を持ち続けるため、まずは小さいことからで構わないので、良心に従った選択を行う練習を日々の生活の中でしていくと良いと思います。例えば、挨拶に少し笑顔を加えてみる、人が脱いだ靴を揃えてみる、多忙になっている同僚の仕事を少し手伝ってみる、などなど。そうした選択をしているうちに、徐々に自分にとってベストな選択が何なのか、というのが徐々に見えてくるはずです。少しでも多くの方が、そういった選択ができるようになることを願いながら、今回のブログを結びます。明日からいよいよゴールデンウイークですね。良い休日をお過ごしください!

  

 

それぞれの瞬間どれもが大事。

またしても前回のブログエントリーから更新が滞りました。この間ダンス作品『the rite of spring -experimental-』の発表、東京・原宿で行われたReebok  Fitness Battle Clubでのヨガイベント「YOG1」への出演、バリ島リトリートなど濃厚な時間を過ごしていました。今月から法律の仕事の量が少し増え久しぶりにPCに1日向かう日もあるのですが、このブログを書いている現在は秋に開催予定のリトリートの下見と撮影などのため、世界自然遺産・屋久島へ訪れています。

屋久島の自然は多様性に溢れており、山も川も海もとても豊かで、ここに来てこの空気を吸うだけで自分のエネルギーが浄化されていくのが肌で感じられます。 そして浄化が進むことにより素の自分自身と対峙することができ、顕在意識の範疇においても様々な気づきが得られます。日本だけでなく地球上にはこのように人間をそれぞれの本質に向き合わせてくれる場所が沢山ある…これまで自由に地球上を移動してきたのは、そういった場所を発見して、その地と人々をつなぐ架け橋の役割を果たすこともその目的の一つだったのかな、と感じてきました。 

 

さて、タイトルのお話。

少し前のことになりますが、僕が最初に所属していた法律事務所の同期の弁護士でもある大好きな友人と先日今年初のお茶をしてきました。今後の自分たちの人生について話していた中で、彼が「30代は大事だからね。」と言った時に、反射的に僕が「いつだって大事だから。」と返せたことが、我がことながら印象に残っています。

ここに書いてみると当たり前じゃないかと思う人もきっと多いと思います。でも、どれだけの人が過去に自分が決めた選択や、社会が作り出した価値観・常識に縛られることなく、「今この瞬間」の「自分の」人生と向き合えているでしょうか。

人生は選択の連続です。

今、このブログを読んでくれている方は、「このブログの文章を読むこと」を自分の意思で選択してそれを行っています。例えば、ここまでの間に誰かか何かしらのメールなり電話なりが届いたとして、ブログを読むのを中断してメールを読み、あるいは電話に出た場合には「ブログを読むのを中断してメールを読む(電話に出る)」という選択をしたことになります。そのように分析してみると、「来月旅行に行きたいけど、仕事が忙しくて行けない。あぁ残念だ。」という人は実は、「旅行には行かずに、仕事を優先すること」を選択していることになります。(本当はもっと細かく、具体的な選択がこの裏にたくさんあるのですが、長くなるのでそちらは今日は省略します。)「いやいや、仕事なんだから仕方がないじゃないか。」と思う人もいるかもしれませんが、その人は「仕事は休んではいけない」という価値観の下で上記の選択をしている、ということに気が付くべきだと思います。今吐いたその息だって、選択によっては吸う息に代えたり、あるいは止めたりすることもできるのです。

そして、その一瞬一瞬の中で行う選択について、「その瞬間の自分」にとってベストな選択を行うことが重要だと思います。結局のところ僕たちは三次元の世界において、過去でも未来でもなく、「今この瞬間」にしか生きていないわけで、極端な話をすれば1秒前での自分ですら、「今の自分」ではないのです。そうであれば、「今の自分」が「今この瞬間」をどのようなものにしたいのか、をよく考えて選択をし、生きていくことが大切で、それをし続けることで後悔の無い、本当に幸せな人生を歩むことができる、とそう思います。こういうことを書くと、僕のことを少し知っている人は、「君は裕福な家庭に育ったから」、とか、「弁護士だからそういう自由な生き方ができるんじゃないか」などと思われる方もいらっしゃるかもしれません。でも、そのように考える時点で、「その瞬間の自分」から離れた、他者との比較の視点に寄りすぎていますよね。他者との比較ではなく、自分の人生に、誠実に正面から向き合う必要があります。

僕自身の人生を振り返っても、その時々の選択について、後悔することはありません。1年前のこの時期は、当時所属していた外資系の事務所を退職することを決めて、ワクワクしていました。2年前は、ちょうどその事務所の採用・転職活動時で、ソワソワしていました。3年前は、最初にいた国内大手法律事務所での激務でフラフラになっていました。傍から見れば、3年前は人生の底で、その事務所を就職先として選んだという選択はあまり良いものではなかったかのように映るかもしれません。「あの時は病んでいたよね」と言う人もいます。でも、僕としては、その選択をしたからこそ学べたことが沢山あって、それがあるからこそベストな今があると思っているので、今でもあの選択は間違いどころか、やはりベストな選択だったと信じています。これに限らず、人生のどの時においても「その瞬間の僕」にとってのベストな選択を続けて、「その瞬間の僕」の人生のピークを過ごしていた自信があります。そうすることで、過去に捕らわれない、最高に自由で、最高に幸せな人生を歩める、そういう確信があるんです。  

「それぞれの人間が、全ての瞬間を大事に過ごし、その時点でのベストな選択をし続けることで、最高に幸せな人生を全うする。」

このブログやヨガのクラスだけでなく、リトリートだったり、踊りや絵だったり、色々な表現を通して、こういった考えをこれから様々な方面に伝えていければと思います。

The first dance performance of the year.

今年に入って、とてもバタバタしており、ブログの更新が大変滞ってしまいました。

この間、1月半ばに日本へ帰国、ほどなくして実家のある北海道へ帰省、その後メディテーションクラスの開講、プライベートでのヨガクラス、トレーニング、翻訳の仕事などなどであっという間に2月も後半。ふわっとしているといつの間にかおじいさんになってしまいそうです。

さて、タイトルの通り、今年一番最初のダンスパフォーマンスを、明日20日、東京は六本木にあるBasecampという場所で行います。使用する楽曲はストラヴィンスキー作曲の『春の祭典』。もともとはオーケストラのために書かれた曲ですが、これをファジル・サイというピアニストがオーケストラの全てのパートをピアノで多重録音した音源があり、今回はその音源を用いて踊ります。そして、今回は画家のANnCo Miura氏、そしてヴィジュアル・アーティストのYuki Hirano氏との3人でのタッグとなります。

『春の祭典』自体は昨年、別のメンバーと別の形でクリエーションを行い、同じ場所で発表をしました。当時は「きっとまた別の形で春の祭典作るだろうな」と思っていたのですが、まさかこんなに早くまた『春の祭典』を作る機会が来るとは思ってもみませんでした。では、なぜ今回作ることになったのか。それは、「直感で」としか言いようがありません。

実は今回はショパンのバラード1番を使って踊る気まんまんでいました。音源を選んで、ずっと楽曲を聞いて、そして踊りのイメージを膨らませて。しかし、今月頭に北海道から戻る飛行機に乗っている最中に「スカーン!」と音が鳴るようにしてファジル・サイ版でのクリエーションのイメージが降りてきてしまったんです。こういう風になったら僕の場合その他の作品を作るには適した状態ではなくなってしまうので、本能に従うまま今回のクリエーションを行うことにしました。飛行機を降りて、すぐにHirano氏、Miura氏に連絡をとったことは言うまでもありません(あんなに突然連絡したにもかかわらず、快く対応してくれたHirano氏には特に感謝です)。

そんな直感によって始まった本作品ですが、 これまでの作品とは異なり、意図的にメッセージを込めて制作することはせず、ストーリー性に重点を置いてクリエーションにあたりました。どんなストーリーか?それは観てのお楽しみです。そして、観た方の解釈に委ねる部分も多分にあります。

明日2月20日、六本木にて、ぜひぜひご来場お待ちしております。

the Rite of spring -experimental-
Date:2月20日
Time:20:00-21:00(19:30開場)
Venue:Roppongi Basecamp(東京都港区西麻布3-2-9 サンライズ六本木B1)
Entrance:2,000円(ワンドリンクオーダーをお願いいたします。)

Artists: Masa Suzuki (Dancer), ANnCo Miura (Painter, Make-up), Yuki Hirano (Guest vvvv artist)

Event URL: https://www.facebook.com/events/470296999841148/

年の瀬に思うこと。2015年を振り返って。

日本ではNYより一足早く新年を迎えているので、僕のfacebookには友人達によるあけましておめでとうポストが連なっているのですが、こちらはまだ31日の午後7時を少し回ったところ。友人と遊びに出掛けるのはもう少し後なので、時差のことは置いておいて、新年への準備を整えるためにもここで2015年を振り返りたいと思います。

「変化」と「挑戦」

僕にとっての2015年は、まさに「変化」そして「挑戦」の1年だったように感じます。

6月に所属していた外資系法律事務所を退職し、独立。今は法務系を中心としていますが、翻訳の仕事もフリーランスで始めました。9月にはNYへ転居。しばらく明るい色にしていた髪の毛も色も黒くなりました。

挑戦については、本当に沢山の機会に恵まれまして。。表現の分野では2月にダンスとヴィジュアルプログラミング言語vvvvとのコラボレートイベント「Dancing PROTO x vvvv」を大好きな友人でvvvvプログラマーの吉岡純希氏と主催、3月には数年ぶりにピアノの演奏を再度vvvvのプログラマー3人(石津優子氏、吉岡純希氏、村田裕介氏)とコラボレートして発表。また同一のイベントにおいては、巫女舞の踊り手である横山章子氏と初めてのデュオ作品を発表させていただきました(映像プログラムを石津氏が担当)。さらに、5月にはハイライトの1つである東京は増上寺で行われた寺社フェス「向源」においてソロダンスパフォーマンスを、東京照明デザイン(TLD)矢野大輔氏、vvvvプログラマー・中野雄太氏とコラボレートし、2日間に渡って出演。約600人の前で踊ることになるなんて、全く予想していなかった(前述のDancing PROTO x vvvvでのパフォーマンスが数年ぶりのパフォーマンスでしたし。)ですが、作品に込めた思いが「祈り」だったため、驚くほど自然に踊れたことが記憶に鮮明に残っています。その後6月には僕が東京でお世話になっていたヨガスタジオ・Quan Ginzaの師岡絵美里先生主催のダンスショーケース「それはすべて愛のこと」にソロ及びデュオで出演させていただきました(パートナーは同じくQuan Ginzaインストラクターの大塚靖世先生)。このデュオ作品では、今まで自分が思いついたことのない動きであったり、表現であったりを、監修の師岡先生、パートナーの大塚先生のおかげで沢山引き出していただきました。そして8月。NY出発の直前に、ダンス・ライブペインティング・映像のコラボレート作品『The Rite of Spring』を発表させていただきました。この作品は本当に思い入れが深くて。。リハーサル期間が短かったこともあり、作品の完成度という意味ではまだまだだったと思うものの、約40分の作品を作るという初めての経験を素晴らしいチーム(ダンサーのMinami氏、Erin氏、画家のTowa氏、プログラマー上記中野氏)とともに達成できたことに、感動を覚えました。

また、料理の面ではデザイナーのIria Ashimine氏のお誘いにより、週末限定カフェ「Cafe Palette」を代官山にあるバーDaikanyama LODGEにて運営、 朝食やランチ、デザートの提供を、夏の3か月の間行いました。アルバイトを含め飲食業の経験は一切無かった僕ですが、「料理を提供する」ということを心から楽しみながら、この挑戦からも大きな学びをいただきました。また来年も別の形でこういった機会を作ろうかな。

そして、ヨガ。今年の始め頃まで考えていたよりも遥かに早くこの道への挑戦を始めることになりました。1年半前の自分はイギリス法の弁護士資格を取得してロンドンで働くことを計画していたことを考えると、本当に人生って何があるかわからないものだと思わされます。両親も本当にびっくりしたことでしょう(それでも一切反対せずにサポートしてくれる両親には感謝の念が絶えません)。それにしても、ヨガの道への挑戦により本当に偉大な挑戦の機会に恵まれたなと、たびたび思わされます。 ただただ愛に満ちた深い学びを得るための道のりを得た、というような感覚です。これについては言語で表現するのがまだ難しいのですが。。。前回のエントリーでヨガの道を志すきっかけを書いたので、もしよければそちらを読んでいただければと思います。

これら「変化」と「挑戦」の裏には、両親や姉兄、友人、お世話になった先生方、ダンサー仲間にプログラマーなどなど、沢山の方の協力と理解、支えがあり、彼ら無しでは経験することのできないことがほとんどです。皆さんには本当に感謝しています。

また、今年もまた数々の素晴らしい出会いや経験に恵まれました。飛び入りのように参加したタイでのヨガ・リトリート、京都で行われた親友Yの結婚式(号泣して顔が梅干しのようになったのも良き思い出。)、大阪で参加したパーティーでの素敵な東京の先輩方との出会い等々、書き出せば切りが無いほど沢山の思い出があることに感動すると同時に、また来年も色々な出会いと経験が待っているだろうことに興奮を覚えます。

2016年もより一層素晴らしい年になりますように。

2015年の僕に関わってくれた全ての人に感謝の気持ちと、平和で穏やかな年が訪れますようにという思いを込めながら、今年最後のエントリー終わります。みなさん、どうぞ良いお年をお迎えください。

Just a beginning at the end of the year.

こんにちは、Masaです。はじめましての方は、どうもはじめまして。

About Masaのページで簡単なBiographyなどを書いていますが、Masa Suzukiと申します。僕の人を知っている人からは、「色んなことをやってる人」と表現されることが多いようです。詳細な自己紹介についてはまた後日別のエントリーで記そうかなと思っています。もしご興味があれば閲読をよろしくお願いします。   

さて、2015年も残すところあと2日となりましたが、この年の瀬の時期にウェブサイトを始めました。これまでfacebookやinstagramは使っていたのですが、Masa Suzukiとしてより発展した表現を行うために、そして自分の学びをさらに深めるためにも、このウェブサイトというプラットフォームを用いることにしました。ブログにおいては、主にヨガのことやパフォーマンスの予定・記録、日常に思うことなどを綴ろうと思っています。実を言うとドメイン自体は8月に取得していたのですが、パフォーマンスやNYへの引越しやトレーニングなどあれやこれやでこちらが後回しになっていました。。これからウェブサイトも表現の一環として、大きな役割を担わせる予定ですので、軽く期待していてくださいね。

簡単になってしまいますが、このあたりで初エントリーを終わります。では、また。