心の作用を止滅することが、ヨーガである。-屋久島ヨーガリトリート振返り(2)

「心の作用を止滅することが、ヨーガである」 

ヨーガの定義って何だと思いますか?柔軟性を活かした難しそうなポーズをとるエクスササイズのようなもの?美容やリラックスのための一方法?

ヨーガの経典である『ヨーガ・スートラ』は、「心の作用を止滅することが、ヨーガである」(YOGAS CHITTA VRITTI NIRODHAH)と述べ(ヨーガ・スートラ第1章第2節)、ヨーガを「心の作用を止滅すること」と定義しています。

「心の作用を止滅する」とはどういうことなのか?この点、非常に簡潔な表現にとどめている『ヨーガ・スートラ』を理解しやすく解説している本のうち、スワミ・サッチダーナンダ氏が著した『インテグラル・ヨーガ―パタンジャリのヨーガ・スートラ』(伊藤久子訳、株式会社めるくまーる発行)では、心は自分自身の鏡であるというように解説されています。たとえば、自分の顔自体を見たことは誰にもないはずです。自らの顔は、鏡や写真を通さないと見ることはできない。でも、もしその鏡に凹凸があったり色がついたりしていたら?自分の顔もまた凸凹に見え、そして色がついた状態に見えることになり、自分自身の本来の姿を見ることはできません。自己もまた同じで、自己が「自己自身」を見ることはできず、鏡の役割を果たす「心」(chitta、チッタ)に映る反射としてしか見ることができない、というのがヨーガの考え方になります。この時「心」が凹凸を持っていたり、揺れ動いていたり、そこに色がついている状態であったりしたら(これを「作用」(vritti、ヴリッティ)といいます)、自己自身を正確に見ることができない。そのため、自己自身がそれ本来の状態にとどまることができない(ように見える)。逆に、心の作用が止滅された(nirodhah、ニローダハ)時、自己は「それ本来の状態にとどまる」(TADA DRASHTUH SVARUPE VASTHANAM)(同第3節)。この時、心はいかなる作用もなく、全き平穏な状態を保ち、「自分自身」を正確に映し出すようになります。しかし、「その他のときは、(自己は)心のさまざまな作用に同化した形をとっている(ように見える)」(VRITTI SARUPYAM ITARATRA)(同第4節)、つまり、凹凸や色や揺れ動きが自分自身となり(正確には、そのように見える、ということ)、平穏からはかけ離れた状態となります。

屋久島の木々。

屋久島の木々。

「心の作用が止滅された状態」である全き平穏な状態を自然の中に感じる

では、「心の作用が止滅された」状態、すなわち「チッタ・ヴリッティ」が「ニローダハ」された状態とは、どういうものなのか。これを完全に説明することはほぼ不可能です。なぜなら、言葉という概念をはるかに超えた概念を言葉で表現することはできないから。下位概念がその上位概念を完璧には説明できない、と言い換えることもできますね。言葉で表すこと自体が「作用」なので、「作用」によって「作用が止滅された状態」あるいは「作用が無い状態」を説明することはできず、あくまで自己の体験をもってしか理解することはできないのです。

今回のリトリート中、「チッタ・ヴリッティ」が「ニローダハ」された状態ってこういうことかな、という体験がありました。それはあくまでも推測に過ぎないのですが、こういう体験です。

台風が通過した今回のリトリート。屋久島が暴風域に入っていたその時は室内でアーサナの練習をしていたのですが、その後ディナーの頃には雨がほぼ止んでいました。それでもまだ外はかなりの風が吹いていて、暗闇に外の景色が見えなくても、その音からかなりの波が立っているのが手に取るようにわかりました。この時、風向きの関係でリトリート会場のモス・オーシャンハウスでは海を臨む南向きの大きな窓を開けても室内には風が一切入って来ず、聞こえる音から外界の状況こそわかるものの、そこで吹いている風はまさに「どこ吹く風」。こちらの状態を物理的・精神的に乱すものは何もありませんでした。外はびゅーびゅーと風が吹いていて、波が立ち、木は吹き飛ばされんばかりなのにもかかわらず、対照的にこちらは実に落ち着き、穏やかな状態でいる。この状況を静かに俯瞰した時、「心の作用が止滅された状態って、こういう感じなのかな」と思いました。自分自身(見る者、プルシャ)がそれ本来の状態にとどまっていれば、その他のものである自然(見られるもの、プラクリティ)がどんなに激しく揺れ動こうと、その影響を一切受けることがなく、自己は平穏な状態に、ただただ穏やかな状態にある。それは決して外界(自然)に対して「無関心」であるというのではなく、シンプルに「同化しない→影響を受けない」状態であり、自己が影響を受けないところで大きなうねりがあることを客観的に認識しつつ、ただその中に巻き込まれることがない状態です。

前述の通り、言葉ではその状態を完全に説明することは不可能で、そのことがもどかしくもあるのですが、でもそれが真理なのでここは潔く諦めるとして、「心の作用が止滅された」(CHITTA VRITTI NIRODAHAH)状態がどういうものなのかを、計り知れないエネルギーの塊である台風という現象をもって自然が教えてくれた、そんな体験でした。

「会いに来てください。」

Photo by lino_photo SaOri Takahashi

Photo by lino_photo SaOri Takahashi

今回のブログ、屋久島ヨーガリトリート振返り第2弾は、いつもとは少し変わってヨーガ理論を中心に書いてみましたがいかがだったでしょうか。ヨーガのイメージが変わったという方もいるだろうし、いや、そんなこと知っていましたという方も沢山いると思います。もし興味を持ってこういった話をもっと聞きたいという方がいれば、ぜひ僕のクラスやリトリート、ワークショップに来てみてください。直接的に話を出すこともあれば、敢えて言葉にせずただ体験として共有し得るような形にすることもありますが、お互いのチューニングさえ合えばきっと伝わるはずです。特に日常生活を離れた自然の中で体験を共有するリトリートでは、普段落とし込むことが難しい奥深いところまで伝わりやすいです。このブログを読んだ誰かと、どこかでお会いできるのを楽しみに、今回のブログを終わります。

 

 

*今後の予定

レギュラークラス:Sunday Morning Yoga/Wednesday Evening Yoga(詳細はClassesページへ) 

(https://www.facebook.com/events/490661987792511/)

 

9/24: トークイベント”Bakatare” by小出一富・Masa Suzuki

9/25: [Donation Class] Park Yoga + Picnic in Yoyogi Park 

10/2:  [天空の畑の土に触れ、大地の恵みを頂く]ハーベスト・ヨガリトリート@塩山(詳細はRetreatページへ)

10/15: 第2回師岡絵美里のおはなしヨーガの会『シッダールタ』(ゲストダンサーとして出演)

10/16: 特別ワークショップ「満月のエネルギーを受け取る」月礼拝とヨーガ・ニードラ(仮)

11/3-6: 宇宙ヨガ・リトリートinチェンマイby長谷川陽子・Masa Suzuki(詳細はRetreatページへ)←色んな意味でスペシャルなリトリート!