やりたいことがわからないんだったら。

こんにちは、Masaです。

約1ヶ月ぶりの更新になります。この間、全日本田植え選手権に出場し、初めての田植えでなんと優勝してきました。生まれて初めての田植えで全日本チャンプ!チームに入れていただいたマイムマイム奥州の皆様に感謝です。9月にはこの地で大人の休日と銘打ったヨーガ・リトリートの開催を企て中。詳細が決まったらまた告知しますね。 

さて、先日久しぶりに大好きな友人に会ってきました。司法修習の10ヶ月間をともに那覇で過ごした彼女。当時は毎月離島へ仲間と一緒に行ったり、本島の中をドライブしたり、一緒に無邪気に遊んでいたけれど、現在は都内の大きな法律事務所で弁護士として活躍されています。自分も3年ほど前まで同じような環境で働いていたことを考えると、今でもその環境で働いている彼女のタフさを感じるとともに、それでも元気そうな顔を見ることができて、僕も元気をもらえたりして。

ただ、会話の中で「私、Masaみたいに本当に自分がやりたいことがわからないから」と言っていたのが気になりました。

少なくない人数の方からこのような言葉を聞くことがあります。「本当に自分がやりたいことがわからない」と。でも、こういう言葉を聞くたびに「その時その時でやりたいことなんて変わるのだから、些細な事でもいいから、少しでも興味のありそうなことをとにかく何でもやってみればいいのに」と思ってしまいます。もちろん、本当にやりたいことを既に見つけていて、それに精いっぱい時間とエネルギーを費やしているのであれば、その他のことなんてやらなくていいと思うし、そもそもその他のことに費やすエネルギーなんて無いでしょう。でも、今やっていることが「本当にやりたいこと」でないのなら、「本当にやりたいこと」に出会うために、自分の手と足と時間とエネルギーを使ってどんどん動いていくしかないんです。「時間が無いから中々そうはできなくて…」と思う人もいるかもしれません。でも、その「時間」は何のために使っていますか?「誰のための時間」でしょう?後で振り返った時に、「あれをしておけば良かった」「あぁいうことがやってみたかった」と思っても、もう遅いんです。「今、この瞬間」の自分のことを、もっとよく考えてみてください。やってみたら思ってたほど面白くないこともあるでしょう。あぁ、これじゃなかったのか、と少しがっかりすることもあるかもしれません。でも、それでいいじゃないですか。また別の興味の中に「本当にやりたいこと」が見つかれば、それでいいんです。

「経験」ほど大きな財産は、それほど沢山ない。

結局のところ、人は経験からしか学べません。どんなに他人が言葉を尽くして、身振り手振りを尽くして何かを説明したとしても、説明を聞いた当人がそれを経験しなければ本当の意味での理解などできない。リンゴを食べたことがない人に対して、どんなに頑張ってリンゴについて説明しても、その人はリンゴを食べてみるまでリンゴの味はわからないのと一緒です。「経験」ほど大きな財産は、「人との縁」などその他わずかな数しか無い。だからこそ、色々なことに手を出して、経験を増やしてもらいたい。そうでなければ、自分自身のことすら理解ができないし、「本当にやりたいこと」も見えてきません。これは老若男女問わず、共通して言えることです。一見突拍子も無いように見えることだったとしても、それが最終的にその人にとって最高の経験になり得るんです。だから、躊躇なく、色々なことに挑戦してもらいたいと心から思います。

少しでも多くの方が「本当にやりたいこと」に出会って、時間と体とエネルギーをそのために使えるような世界にするために、自分ができることを精いっぱいやる。これが今僕自身が一番やりたいことです。明日から2016年も後半に入ります。何らかの形で、いつか僕の働きがこの世界に役立つ日が来ることを願いつつ、今回のブログを終わります。