生まれ来る命と、去り行く命と。

7月ですね。Retreatページにてご案内の通り、屋久島ヨーガリトリート、ただいま早割期間を延長して参加者を募集しております。ご興味おありの方、ぜひお気軽にご連絡ください。今回はアーサナや瞑想はもちろん、ヨーガ哲学の講義、そして屋久島の自然を存分に満喫するためのアクティビティもご用意しておりますので、日常から離れて自分自身をしっかりと見つめたい方に、ご満足いただける内容になっています。 

さて先週後半から、比較的短い休暇を北海道の実家で過ごしてきましたが、本日東京へ戻ってきました。思うことがあって、機内にて短めにブログを更新する予定でしたが短く終わる内容でもなく、結局いつもと同じくらいのボリュームになってしまいました。

たいへんめでたいことに、今年僕のまわりでは姉や親友などをはじめ、新たな命の誕生がそれはそれはよく聞かれます。安産であっても難産であっても、新しい命をこの世に迎えるということは、本当にかけがえのないことなんだと、嬉しい報告をもらったり、赤ちゃんたちの顔を見る度に心から思います。
一方、身近なところでの悲しいお知らせもまた、今年は今までよりも多くなっています。自分自身の親族ではまだありませんが、近しい友人の家族や親の友人など、自分の近しい人の悲しい顔を見るとこちらも胸を鷲掴みにされたような気持ちになります。

ヨーガの基礎となるインド思想にはサンサーラ、すなわち輪廻という概念があります。サンサーラをごく平たく説明すると、解脱に至るまで魂がいくつもの生と死を繰り返すこと、と言えます。インドだけでなく、東洋には生まれ変わりという考え方が浸透しているように思います。

サンサーラを念頭に置く限り、僕たちが日頃直面する(肉体的な)死というものは「その人自身」の死ではなく、「その人自身」(魂、とも言えるでしょうか)が辿るサイクルの一部に過ぎないことがわかります。そして「その人自身」は、また別のカルマを達成すべく別の形態をもって生まれて来る。だから、その人にとっては決して死は忌むべきものでも果てしない悲しみをもたらすものでもない…と。
しかしながら、僕らの「心」が揺れ動き、そして対象への執着を持ち続ける限り、別れの苦しみから無縁であることは非常に難しいことです。風が止んだ湖の水面が、一つの歪みもなく空を、そして雲の流れを映し出すように、心もまたその揺れ動きを止めることができれば良いのですが、それはそう簡単なことではなく、ある瞬間にとどまろうとし、そして像を揺らします。でも、僕らは知識として上記の事柄、すなわち肉体的な死が、「その人自身」にとってはサイクルの1つに過ぎないことを知っているのだから、心の作用を、まずはポジティブなものへと変えていき、その重なりの上に作用を止めた完全な平穏へ達することを目指せば良いのではないか、今はそう考えています。そして、こと生と死に関しては、今向かい合う命に対して精一杯の、そして無条件の愛情をもって関わり合うことが、揺れ動く心の、最もポジティブな作用なのではないか、と。 

生まれ来る命に、歓迎と祝福を。
去り行く命に、感謝と労わりを。
共に歩む命に、尊敬と希望を。

 

そこまで遠くない将来に僕も、僕の大事な人たちも、今ある肉体を離れる日が来ます。それは明日かもしれないし、15年後かもしれないし、50年後かもしれない。それがいつであったとしても、ポジティブな態度をもって向き合っていようと、強く思わされたこの数か月でした。

暑い暑い夏が始まりましたね。2016年ももう7月。体調を崩されないよう気をつけながら、しっかりと夏を楽しんでください。最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。